2022年 第4回 金沢講習会[◆剣体研究会◆] [韓氏意拳 初級・中級会員]
4月8日(金)19:00~21:00 ◆剣体研究会◆ (一般参加)
場所 鳴和台市民体育館 第1会議室
4月9日(土)10:00~12:30 韓氏意拳 初級(体験参加可)
4月9日(土)14:00~16:30 韓氏意拳 中級(会員対象)
場所 金沢市総合体育館 第3会議室
4月の剣体研究会は、剣を前に構えて歩を進めることからはじまりました。
剣を宙に留めるように浮かばせると、足は軽くなり剣に重さが乗ります。その一体感のまま歩を進めていきます。
鹿間先生はその様子を「まるで水のように粘性の高い空間に分け入るように」と喩えていました。
先生の手本に触れさせてもらうと、力点が遠く先制的なタイミングで貫通する作用を感じます。
自分の場合は[剣を宙に浮かべる] と[歩を進める] に連続的ではない余計な手続きがありがちでした。独りでは分別できない淡い質感の違いを、鹿間先生に手を取ってもらい伝えていただきました。
鹿間先生の接触技術はまさに職人芸で、こちらの身に起きていることを自我より明確に炙り出してくれます。
剣という道具と、鹿間先生の職人芸を媒介として見出す内容の豊かさに今月も驚く稽古となりました。
笹井
2022年 第2回 金沢講習会[◆剣体研究会◆] [韓氏意拳 養生功・初級・中級会員]
2月11日(金祝)13:00~15:30 韓氏意拳講習会 養生功クラス (一般参加)
2月11日(金祝)16:00~18:00
◆剣体研究会◆
場所 金沢市総合体育館 第3会議室
2月12日(土)10:00~12:30 韓氏意拳 初級(体験参加可)
2月12日(土)14:00~16:30 韓氏意拳 中級(会員対象)
場所 金沢市鳴和台市民体育館第1会議室
鹿間教室 活動報告
金曜祝日を利用して剣体研究会と韓氏意拳(養生功 / 初級 / 中級) の計4コマ開催でした。
まずはじめに行われた養生功クラスでは、意のない動作と意のある動作がどう違うのか丁寧にみていきました。
意のない動作は、行為に無理が伴うので" 力"が発生します。それは局所的な力感や、立体感のない一面的な圧力として表現されます。一方、意に導かれた動作には力が発生しません。
"用意不用力"
〜意が用いられるとき力は用いられない〜
そのようすが如何なることか、先生の表現として直接触れさせていただいたり、こちらからも表現してチェックしていただきます。
私たちは経験上、接触を力感として表現すること馴れているので、力感の無い接触には驚きます。力感は重くて熱くてストレスですが、先生との接触は全く異質で、ずいぶん主観的に言えば子供の頃の身体感覚が呼び起こされるような軽さが生じます。
つづいて剣体研究会では、道具を用いることで意の働きを明瞭に感じ取りやすくなる様子を体験していきました。剣の持ち方からはじめて、斬り上げ/斬り下げの素振り、そして二人組での攻防まで進みました。剣と身の関係性、攻防一致の必然性は何故生じるのか、養生功クラスからの続きでこそ観えやすいところがありました。
翌日の初級クラスでは、自分の質量の移動 = 作用として働く様子をみつけながら"用意不用力"の理解を深めていきました。特に今月は、転体としての回転運動が質量の移動としては前後運動に化ける様子を伝えていただきました。
それが一体どういう現象を描写しているのかは、目の当たりにせねば難しいものがあるかもしれません。ぼくも教えられて試してようやくなるほどそうなのかという新しさでした。
中級クラスでは、より複雑な動作のなかで、手と転体の関係、転体と足の出るタイミングを見極めていきました。
クラスを跨いで通底するところは何か?
クラスの違いが内容の深まりにどう表れるのか?
有意義な4コマ開催でした。 (笹井)
2022年 第1回 金沢講習会[◆剣体研究会◆] [韓氏意拳 初級・中級会員]
1月7日(金)19:00~21:00 ◆剣体研究会◆(一般参加)
場所 金沢安原スポーツ広場 多目的室
1月8日(土)10:00~12:30 韓氏意拳 初級(体験参加可)
14:00~16:30 韓氏意拳 中級(会員対象)
場所 金沢市鳴和台市民体育館第1会議室
1/7(金) 剣体研究会 の レポート
2022年の稽古はじめは剣体研究会。常連参加のHさんが不在で笑いが減ってしまいましたが、岐阜県からOさんが久しぶりにご参加くださり、2時間ノンストップの熱量高き稽古となりました。
Oさんは別の流派の剣を修めているので(剣体研究会では他流の参加も歓迎しています)剣の持ち方などの違いに改めて戸惑いを感じる様子でしたが、鹿間先生がおそらく敢えて剣を持たずに稽古を進めることで、「内容に集中して取り組むことができた」とのご感想をいただきました。相手の意図を理解したり心遣いを汲み上げる知性は武の一部だと思います。相手と自分、または自分の心と身体の乖離を融かしてくれるので。
スポーツなり社会生活のなかで空間的/時間的に枠のきまった行動を取るときと、野性的な突発性を必要とするときは運動の種類が違います。ヤカンに触ってアチチと手を引くときには、心身に予定なしの調和が発現している。
感ずれば応ずる。感知即応。
「では自分から相手を打つときにはどうすればいいですか?」Oさんからの問に返す鹿間先生の解は見事ながら、ここに言葉だけで再現することは困難です。
果たして身体をコントロールして破れのない調和はあるのでしょうか?
論理的な解答、そして解の体現を目前にしたければ会におこしください。剣への興味は二の次だって構いません。
ああ体認の実り多き2022年にしたい。そう思うような稽古始めでした。 (笹井)